2015年2月8日日曜日

感想文: The Visual Display of Quantitative Information

Edward R. Tufte, The Visual Display of Quantitative Information を読んだので感想文を書こうと思う。

そもそも本書を知ったきっかけは Cytoscape の開発者である Ono 氏のブログだったと思うのだけれど、見つからなかったので SlideShare へのリンクを以下に。

『繋がり』を見る: Cytoscapeと周辺ツールを使ったグラフデータ可視化入門
http://www.slideshare.net/keiono/cytoscape

また、Tufte および本自体については以下のブログがわかりやすかった。

タフテ、タフテという呪文 - 三上のブログ
http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20080402/1207139139


洋書である。私は英語が大得意ではないので、洋書というといつも要所要所しか読まない (読めない) のだが、本書はかなり平易な英語になっていると感じた。また、絵図が多用されており、これらからもかなりの意味を読み取ることができ、読み進めるにあたりさほど苦労はなかった。たまに過去の文章の引用があったりすると、時代なのか、イギリスだからなのか、論文だからなのか、とたんに難しくなる。

本書は二部構成になっている。第一部は 「実践」 として、過去の優れた、また優れていないグラフを数多く論じる。第二部は 「理論」 であり、情報を伝えるグラフを描くためのいくつかの原則を多数の例とともに明快に示していく。その根底にあるものは一貫している。
グラフはデータを示すものだから、グラフ自体が示すデータの密度を最大化していくべきである。
原則のひとつとして、データを表さないもの (「インク」) を可能な限り排するというものがある。装飾的な表現はもちろん、今まで疑問を持たず引いていた座標軸も、データそのものを表すものではない。そういった要素を大胆に削減し、グラフの中の情報密度を相対的に増加させていく。あまりに大胆であるため、正直やりすぎで逆にわかりづらい、と感じる箇所も多分にある。しかし Tufte はこう書く。
さらに言うと、よくあることだが、グラフを見る読者の能力を低く見積もるのは間違いだ。あなたが理解できることなのだから、読者もできるでしょう。グラフはその絵図自体が、テキストがなくても理解できるくらい、洗練されているべきなのだ。(p.136, 意訳)
まあ実際に示された大胆な例ほどの 「改善」 をやる勇気は今のところないのだけれども、それはそれで良いかと思う。

そんなふうに、ふんふん、へえ面白いと読んでいくのだが、その最後 (から 3 番目くらい) に以下の原則が示され、はっとした。
グラフはデータに関する段落であり、またそのように扱われるべきだ。(p.181, 意訳)
こういう心構え的な内容が最後に出てくるのも変わっているなと感じたのだが、これを読んだ時に今まで示されてきた数々の原則 / 方法論が急に整理されてストンと落ちた。そしてそのまま、こう続ける。
言葉も、グラフも表も、形式は違うがいずれも情報の伝達という目的は共通している。同じ事項に関する情報が、ページ上の別々の場所に分断されて配置されるべきなどということはない。
(2 ページほど略)
このように、データ解析のグラフにおいて言葉が使われる時には、(デザインが複雑な場合に) 読者がそれを 「どうやって」 読み解くべきかを示すべきであって、「何を」 読み解くべきかを示すものではない。(p.181-182, 意訳)
これをダビンチの論文を引用して話すのがまたたまらないのだが、ふと思うと、本書をこれまで読んで絵図を見て、これなんだっけ、と思ったことがまるでなかったことに気付かされた。絵図を見るためにページをめくる必要があったことすら、数えるほどしかない。そして (英語力のせいで) 文章が多少わからなくとも、その絵図自体が明快に語っている。本書に示されたいくつかの原則、またその根底にある情報を伝えるという目的を、目の前にあるその本がそのまま体現しているということに感動すら覚えた。

本書はタイポグラフィについても定評がある。Tufte にとっては、いかにして受け手に情報を伝えるかということを突き詰めていった結果、グラフも、タイポグラフィも、自信はないが文章も、こだわらざるを得なかった (自らの出版社を立ち上げる程度に) ことなのだろうと感じた。あとプレゼンテーションもすごいらしい。

 参考

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